■昭和33年2月26日■ 横山大観(1868〜1958)
横山大観画伯が院展最後の出品作「風蕭々兮易水寒」を描いたのは1955年(昭和30年)。当時画伯は87歳であった。この「風蕭々兮易水寒」は司馬遷の「史記」にある荊軻の詩からとられたものである。
「風蕭々として易水寒し 壮土ひとたび去って還らず」
*秦国に人質としてとらわれていた燕国の太子舟が、秦国から屈辱的な扱いを受けたことを契機に秦と戦う決意をする。秦王の暗殺を命じられれたのが荊軻であった。易水のほとりで離別の宴が行われるが、そこでこの詩を詠む。
「風蕭々兮易水寒」を出品した第40回院展を最後に、大観画伯がその後出品することはなかった。あたかも別れを暗示しているかのように、画面に描かれた一匹の犬は静かに先をみつめている。
翌年の2月に発病。一時は重態となるが昭和33年にはその大患を克服し、強靭な精神力で再度筆をとるようになるが、昭和33年2月26日に死去。「不二」が絶筆となった。正三位勲一等に叙せられ旭日大綬章を受章。 谷中墓地に埋葬される。
(乙8号4側 ちなみに隣は鳩山一郎氏)
絶筆「不二」
あれは何年頃のものだったのだろうか。横山大観画伯がインタビューに応えている古いVTRを見たことがある。インタビュアーは吉川英治氏だったように思う。今でも大観画伯の声が聞こえてくるような気がする。
「自ら省みてなおくんば、千万人といえども我往かん」
横山大観 |


