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私淑

 琳派の特徴の一つとして、時代を超えた「私淑」があります。

これは狩野派や土佐派などに見られるような師弟関係は持たずに、

あくまでも「私淑」によってその美を伝達してきた、ということです。

創始者といわれる第一期の本阿弥光悦・俵屋宗達、

第二期の尾形光琳・乾山兄弟は京都生まれの京都育ちです。

一方第三期の酒井抱一は姫路城主の第二子でありましたが

江戸に生まれ江戸に没した画家です。

しかし、いかに師弟関係ではなく、私淑によるものといえども

光悦・宗達・光琳が血縁関係にあったことを思うと、

光悦に始まる前期の100年間と、光琳から抱一までの100年間とでは

若干、意味が異なる気が致しました。

そこにはむしろ、私淑というより師弟関係よりももっと強い、血縁による 「絆」を感じるからです。

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本阿弥家は刀の鑑定、磨砥、浄拭 を家業としていました。

日蓮宗叡昌山本法寺開祖の日親に帰依し、「本光」と名乗るようになり、

以来、子孫の男子には「」がつくようになりました。光悦は本光から数えて3代目になります。

光悦の父、光二は刀剣の払拭や鑑定の技に長じていたので、今川義元や織田信長の寵愛をうけ、

加賀前田家からも数万石で召抱えられた人物で、当時の徳川家康は竹千代と呼ばれていた時代でした。

光悦は父のお供をすることも度々あったそうで、それゆえ家康は光悦のこともよく知っていたそうです。

(後に、本阿弥光悦が洛北鷹が峰に「芸術村」を作ったのも家康より土地を賜わることができたから)

◆ 光悦は、父、光二の兄弟の娘と結婚します。実は、俵屋宗達も同様に、

その姉妹と結婚しているのです。

◆ 一方、尾形家は浅井長政に仕える身で、

尾形家の祖といわれる道柏は、光悦の姉と結婚しております。

尾形光琳・乾山兄弟は道柏のひ孫にあたりますので、この間には確かに時間は流れていますが、

琳派を代表する前期(1期・2期)の三人が血縁にあったことは間違いありません。

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ここに、DNAの持つ驚異的な力を感じます。「血縁が、時を越えてその美を伝達してきた・・・・・」

これは、琳派がもつ大いなるなロマンの一つ・・・不思議な感動を覚えます。