禁裏御用窯 辻家
有田焼の歴史の中に辻家が登場するのは、今から三百数十年前の寛文4年(1664年)のことで、ちょうど有田焼の陶祖といわれる李参平が有田での磁器焼成に成功してから48年後にあたります。
初代市右衛門を陶祖とする辻家は、三代喜右衛門までは鍋島焼の藩御用窯の職にあり、この頃より名声を上げていました。(辻家時代書) 112代・霊元天皇は、辻家の製品をことのほか気に入られ、これより佐賀藩主鍋島光成へ御料器を調達すべしとの御下命がくだり、以後辻家は有田焼の歴史の表舞台へ現れるようになります。
「禁裏」とは、みだりにその中に入ることを禁じる意。宮中、御所、禁中、内裏を表す。それは、「たとえ徳川将軍家といえども勝手に入ることが許されない聖域を意味する」もので、これが現在まで続く皇室と辻家の関係のはじまりで、この時から、御所常用の御器は鮮麗な染付になったといわれています。
さらに、四代・喜平次の時には、東山天皇の命により御所に御用品を献上。また六代・喜平次の時には官職である常陸大掾「ひたちだいじょう」に任ぜられ、天杯を賜っています。
以来、辻家では「禁裏御用」としての役目を重要視するために、染付による御器の製作に情熱を燃やし努力を重ねていき、秀品の制作を目標とし日々精進を重ねる中で、幻の製法ともいわれる「極真焼」が生み出されました。

